※ネタバレを含みます!

先日、秩父宮記念市民会館大ホールフォレスタで上演されたドキュメンタリー映画「森を織る」を鑑賞しました。
www.youtube.com
場所は、市役所のお隣。

というか市役所と同じ敷地
コンサートホールのようなところでした。

ふかふかの椅子!すごくいいホールでした!
ドキュメンタリー映画「森を織る」トークセッションレポート
養蚕農家さんをはじめ、制作に携わった方々の「ものづくり」に対する熱い思いと、日本の絹産業の「今」に触れる、非常に濃密な時間でした。
本当は映画鑑賞が先⇒その後トークセッションでしたが、都合上こちらを先に書きます。
登壇者のご紹介
この日登壇されたのは、絹づくりに多様な形で関わる以下の5名の皆さまです。
- 久米悠平さん(影森養蚕所の5代目養蚕農家)
- 久米茉莉さん(悠平さんの奥様で研究者)←司会・進行
- 小森優美さん(プロデューサー)
- エバンズ亜莉沙さん(監督・出演)
- 高嶋綾也さん(映像監督)
きっかけは「2000年のバトン」という感動
この映画制作のきっかけは、プロデューサーの小森さんと、養蚕農家の久米さんとの出会いでした。
小森さんは約10年間シルクと関わり、3年ほど絹の産地を旅する中で久米さんと出会います。
旅で目の当たりにしたのは、素敵な職人さんたちの姿、その土地に根付く祈りの文化、そして土地との密接な関係性でした。
小森さんは、「(絹は)2000年のバトン」という言葉に深く感動し、「これを伝えるのは映像しかない!」と決意。
10年来の友人であるエバンズ亜莉沙さんに声をかけたそうです。
当初は数分のイメージ映像の予定だったものが、久米さんとの出会いを経て「10分じゃ無理だね」と、数十分のドキュメンタリー映画へと発展していったといいます。
登壇者が語る「絹」と「映画」
セッションでは、皆さんがそれぞれの視点で映画の感想や制作秘話を語ってくださいました。
久米悠平さん(養蚕農家): 「映像がとても綺麗でした。そして、繭から先の人たち(製糸工場、織物工場、染物など)が、僕たち養蚕農家のことを考えてくれているのが分かって嬉しかった」 作り手として、次の工程を担う人々との「繋がり」を改めて感じられたようです。
小森優美さん(プロデューサー): 「ファッション業界は、1つ1つの作業が見えづらく、すごく分断がある。例えば、製糸工場の人も織物関係の人も、その次(の工程)が追えない」
小森さん自身、10年シルクを扱い、エシカルやサステナブルに関わってきたにも関わらず、全工程が世界をまたにかけているせいで、なかなか全体像を追えなかったと語ります。
「でも今回は、全員で1つのものづくりをしている…そこには人はもちろん、蚕、きれいな水、土地の力、祈祷してくれる人、蚕を供養してくれる人…様々な存在がかかわって絹が出来上がることに、すごく感動しました。それがシンプルな(制作の)きっかけです」
高嶋綾也さん(映像監督): (映像に収める工夫について問われ)「作業をしている職人さん自身が美しく、苦労はしませんでした」
エバンズ亜莉沙さん(監督・出演): 「養蚕農家、製糸工場、織物工場など、絹にかかわるところがどんどん衰退している中、作業が大変だからこそ、そこにポジティブな使命感があるのではないかと思いました」 「今じゃないと残していけない」という危機感と同時に、各地を巡る中で、職人さんのお子さんなど若い世代にも、そのバトンが繋がり始めていることを実感したと語ってくださいました。
「森を織る」—タイトルに込められた意味
森は、命を育み、水をきれいにする唯一のシステム=「生態系」の象徴です。
「この(絹の)産業も、まるで森みたい」 という思いから、「産業の生態系」というイメージを「森」に重ね、「森を織る」というタイトルが生まれたそうです。
トークセッションの中で、小森さんが印象的なエピソードを共有してくれました。
映画を見たある人から、こんな感想を言われたことがあるそうです。
「素敵な記録映画ですね」
「織物がなくなっても、この映像があれば良いですね(=記録として残って良かったですねってこと?個人的にはちょっと失礼な発言だなと💦)」
その時、小森さんは強くこう思ったと言います。
「いや、なくなるわけないやろ!!笑」
このエピソードは、この映画が単なる「過去の記録」ではなく、衰退が懸念される産業を「未来」へ繋いでいこうとする、作り手たちの強い意志の表れだと感じました。
まとめ
トークセッション全体を通して、登壇者の皆さんの「絹」に対する思いと、それを作り出す人々や土地、そして蚕という命に対する深い敬意がひしひしと伝わってきました。
AI化が急速に進む現代だからこそ、むしろその価値を増して「残っていく」のではないか。
でも、その「残っていく」ためには、知り、「残していく」という意志が必要なんだと感じました。
映画「森を織る」を鑑賞して(感想文)
ドキュメンタリー映画が「記録」なら、この映画は単なるドキュメンタリー映画をはるかに超えていると思いました。
まず、映像がとてもきれい。多分これは、全ての映画を見た人の感想で挙げるはず。
そしてやっぱり蚕は可愛い。
思いがけずスズメバチと遭遇した時、背筋に戦慄が走り、本能的な恐怖が背中から来た経験があるのですが、蚕は可愛く、いつまでも眺めていられる気がします。
これも、DNAに組み込まれている本能なのかもしれません。
映画で一番に感じるのは、「生命」。
蚕の命と引き換えに、美しく特別な絹が出来上がる。
と書くとスタート地点が蚕のようにも思えますが、蚕も生き物なので桑の葉を食べますし、桑は木なので当然、大地と水がなければ生きられません。
絹産業は、水のきれいなところが産地とされています。
綺麗な水のためには、森がなくてはならない。
結局は、この映画は蚕がスタートの絹のドキュメンタリーなのではなく「生命」を巡る中の点と点をつないだ話だったのです。
巡り巡る、というのはお蚕様の供養の場面からも感じられます。
供養というのは何のために行うかというと、対象の生き物(や大切なもの)のためではなく、生きている側の人間のために行われます。(と私は思っています)
私は数年前に富岡製糸場や横浜のシルク博物館を訪れて展示や祠を見てからずっと、蚕の命と引き換えだという気持ちを忘れたことがありません。
(だからこそ、銘仙を織るため絹糸に移行した時を思って、少しでも失敗したら蚕に申し訳ないと戦々恐々としている…)
敢えて誤解を恐れず書きますと、蚕の意志に関係なく命を奪っているということになり、その意識がずっと昔から誰の心にもあるからこその供養なのだと思います。
もちろん、後ろめたい気持ちだけではなく、感謝も。
特に必見は、最後。
出演された職人さんたちの溢れる笑顔が画面からこぼれます。
そして、エンドロール。
森や粘菌、蚕神、天照大神までも記されており、最後は「地球のあらゆる自然と八百万の神」がクレジットされていました。
映画を作られた方々の、お蚕様含む自然への畏敬の念を、そこに見た気がしました。
映画自体は、お蚕様から始まって、1つの服が出来るまでが丁寧に描かれた上質なドキュメンタリー映画です。
それは確かで、養蚕⇒製糸⇒織物⇒染色のみならず、森や里山の取材も含まれていたことからも制作側の真摯な思いがよく伝わりました。
だからこそ終盤、「なぜ洋服なのだろう❓」という疑問が、どうしても出てきてしまいました。
そもそもプロデューサーの小森優美さんご本人がファッションデザイナーであり、“MORI WO ORU(森を織る)”は洋服のブランドでもあるのだから当然と言えば当然。
それは重々承知の上で誤解を恐れず書くと、洋服は生地の余りが必ず出る服なのです。
「きもの解体新書」中谷比佐子 著によると、「ドレスの場合平均20%の布を切り落とすと言われている」とのことです。※後述
私の母は洋裁をする人でしたが、ハギレが大量に出るのがもったいないーと言いながらもガンガンに捨てていました。
書店や図書館へ行くとハギレ活用BOOKとかはぎれで〇〇作りという本が何冊も置いてあります。
つまり裁断により使わない布=ハギレが出るのは必然なのです。
映画の最後では、長い旅を経てようやく美しい最上級の布地となった絹が、最終的にキャミソールとなりました。
確実に出た(る)であろうハギレがどのように扱われるのか。
その行方が気にかかりました。
映画でもトークセッションでも、後日確認したHPでも、その点について見つけることが出来ず、絹を大切に思う心、自然への崇敬の念はひしひしと伝わっただけに、ぜひ知りたい、と思わずにはいられませんでした。
ここで、前述の「きもの解体新書」P.32~の「蚕はただ黙って命を人間に投げ出す」の所を要約します。
きっと、この本に書いてある考えと根本は一緒だと思うのです。
日本の着物が1000年以上も形を変えない理由は、命を捧げて絹を提供する蚕に対する、日本人の「感謝とお礼」の気持ちが込められているから。その感謝の心は、布を1ミリも無駄にしない「着物の仕立て方」に表れています。着物は8枚のパーツを縫い合わせるだけで作られ、洋裁(ドレスの場合平均20%の布を廃棄)とは異なり、布を一切切り落としません。曲線も布を折りたたんで作ります。また、下着から上着まで全て同じ形で仕立てられるため、重ね着に適し、ほどけば元の布に戻して洗い張り(再生)することも可能です。
筆者は、蚕が差し出した命(絹)を余すことなく使い切ることが、その命を大切にすることだと理解していた日本の先人たちに、深い敬意を表しています。
この本は、少々スピリチュアル要素も含みますが、こんなに絹や着物を語れる人が他におられるだろうか?と思うほど内容が深く、私はもう何度も読み返しています。

ちなみに、私は着物が好きですが、だからといって着物第一主義でも、着物(和服)の方が洋服より優れていると思っている者でもありません。
普段着も通勤着も洋服ですし、春に奮発して買った本麻の浴衣すら、今年の夏は着る事が出来ませんでした。
(暑すぎた)
絹産業の衰退は着物業界の衰退とも重なると思っていますが、それは昨今の気候や、着物が「生活」から「行事」に追いやられてしまったことも大きいと思います。
しかもその「行事」でさえ、衝撃的な事に最近は
「入学式に母親が着物を着ている!目立ちたがり屋!!」
というニュー見解が(ネットで)見受けられます…
となると、販路としては海外、産業としてよりは文化としての再生となるのかなと思いました。
トークセッションでも言及されていた「現代のシルクロード」が花開くのは、どんな形になるのでしょうか。
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